tumblr junkie in tokyo。もう、ほうっておいてください。

 

高校の時やんちゃ組にいて、学校では結構威張ってる方だったけど、修学旅行で変に太短い包茎チソコを見られるのが嫌で、
担任(若い男)に「チソコに刺青入れてるから、大浴場に入れない」と冗談半分で言ったら、その日の放課後、「えっ、学校にこんな所あったの?」って思うほど全く知らない部屋に呼ばれて、
担任と副担任(中年女)と学年主任(年配男)と副主任(年配女)と部活の顧問(中年男)とと保健室の先生×2(中年女と若めの女)と教頭(年配男)
がいて、色々話聞かれて、辻褄合わせしながら会話してたら、最終的に「見せてみろ」と言われた最悪な状況になった馬鹿はいるか?

松竹梅ってのが大切でね、別に梅だからって手を抜いてるわけじゃなくて、ちゃんと仕事はしてるしお客様に満足頂ける100%だけど、もっと金を出してくれたら、もっと良い物を見せまっせ。と言うのがプロですと最初の会社で教わりました。

「日本の森や林は、本当は暗いんです。入っていくと、どこかおっかなくてゾクゾクするんですよ。何かいるって感じるんですね。」

「日本人にとっては、神様って闇の中にいるんですよ。ときどきは光の中にも出てくるかもしれないけど、いつもはどこかの森の奥深いところにいたり、山の中に住んでたり、そこへ”依代”を建てると、ふらっとそこへやってきたりする。

ですから、沖縄のほうに残っている一番原形に近い神社は、社といっても拝殿はあるにしても御神体は、ただの木だったり石だったりするんです。それも、ピカピカ輝いていたりせず、うっそうと暗いところにシーンとして、蝶々がハタハタと飛んでたりして、どこか不気味なんですよ。

前に子供たちと行ったら、”こわい、こわい”って言うんです。なにかがいる気がする。その”こわい”という気持ちが、日本人にとっては、日本人にとってはある種の森とかそういうものに対する尊敬の念で・・ようするに、原始宗教、アニミズムなんですね。”何かがいる”みたいに自然とは混沌としているんですよ。”入らずの森”というのは、あちこちの土地にあるんだけど、そこへ行くと山歩きでさんざん山仕事やっている人間でもね、なにかあるって感じがするそうです。

突然、恐怖に襲われて、あそこには入らないほうがいいってことになるらしいのね。そういうことってあるんです。それは何だかわからないけど、たぶんぼくはあると思うんですよ。五感だけで感じられるものだけじゃないでしょう、世界というのは、別にオカルトを信用してるわけじゃないですよ。

この世界は人間のためだけにあるんじゃないんだから、そういうものがあってもいいと思うんです。

だから、ぼくは人間のために必要だから森を残そうっていうふうなその能率的な発想で自然を考えるのは、なんかやっぱり違うんじゃないのかなあという気がしてね・・。

そういうのは自分の心の奥深い暗がりとどこかでつながっていて、そういうものを片方で消してしまうと、自分の心の中にある暗がりもなくなって、なにか自分の存在そのものが薄っぺらいものになるという感じがどこかにあるもんで、気になるんですね。

ぼくは初もうでには行ったことないけど、それはあのキンキラキンの神社の中に神様がいるとはとても思えないからで、やっぱりどっか深山幽谷の中に、日本人の神様っているんじゃないのかなあ(笑)。